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大阪高等裁判所 昭和55年(う)235号 判決

本籍

韓国慶尚北道義城郡玉山面五柳洞六二八番地

住居

大阪市浪速区恵美須町三丁目六番地山田マンション内

繊維製品卸売業

林真行こと

林政行

大正一五年八月二五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五四年一〇月一五日大阪地方裁判所が言い渡した判決に対し、原審弁護人から控訴の申立があったので、当裁判所は、次のとおり判決する。

検察官 阿部敏夫 出席

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人山口一男作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官阿部敏夫作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、原判示の各事実につき、いずれも事実誤認を主張するものであって、要するに、原判決は、(一)原判示第一の事実につき被告人の昭和四九年分の所得金額を認定するにあたり、被告人の田中商店に対する同年の期末買掛金一五三万九三九〇円が存在するのに架空のものと認定し、(二)原判示第二の事実につき被告人の昭和五〇年分の所得金額を認定するにあたり、(1)被告人の同年の期末買掛金として、(イ)田中商店に対する六三万五六一〇円、(ロ)大協ニットに対する三五三万二五五〇円、(ハ)中西準に対する四四五万円、(ニ)山本商店に対する二四五万円、(ホ)丸吉商店こと吉浦潔に対する四四一万七八〇〇円の合計一五四八万五九六〇円がいずれも存在するのに架空のものと認定するとともに、(2)同年の期末貸付金として、前記吉浦潔に対する一九五万四九八五円及び榎並春太郎に対する七二一万八二四〇円のうち一三五万円をこえる分の合計七八二万三二二五円が存在しないのに存在すると認定した誤りがある、というのである。

そこで、所論と答弁とにかんがみ、記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調の結果を併せて検討すると、原判決挙示の関係証拠によれば、原判示各事実は、所論の各期末買掛金の不存在及び各期末貸付金の存在の点を含め、優にこれを肯認することができ、原判決が事実に対する判断として説示した点についても誤りは存しないが、なお所論の各点についての当裁判所の判断を示すと、次のとおりである。

(一)  被告人の昭和四九年分の田中商店に対する期末買掛金及び昭和五〇年分の田中商店外四名に対する期末買掛金について

(1)  被告人の公表帳簿である原判決挙示の昭和四九年分及び昭和五〇年分の各仕入帳並びに原審が取り調べた押収にかかる昭和五一年分仕入帳(大阪高裁五五年押第一四五号の三九)には、所論の各期末買掛金(但し昭和五〇年分の田中商店に対する期末買掛金の額は二一七万五〇〇〇円)がいずれも翌期に繰り越された旨の記帳がなされ、被告人のもとで経理事務を担当していた田口トミエは、原審証人として右の各期末買掛金のうち、昭和四九年期末の田中商店に対する一五三万九三九〇円は昭和五〇年一二月二二日に、昭和五〇年期末の田中商店に対する二一七万五〇〇〇円は昭和五一年四月三〇日仕入分の一八〇万五〇〇円と併せ、三九七万五五〇〇円を同年六月一五日に、大協ニットに対する三五三万二五五〇円は内金一〇〇万円を同年三月一九日に、残額を同年一一月二六日仕入分の七〇万円と併せ三二三万二五五〇円を同年一二月二八日に、中西準に対する四四五万円は同年二月四日仕入分の一八一万六〇〇〇円に対し一七〇万円支払った残額一一万六〇〇〇円と併せ、三五〇万円を同年三月三日に、残額一〇六万六〇〇〇円を同年五月六日に、山本商店に対する二四五万円は同年三月一五日に、丸吉商店(吉浦潔)に対する四四一万七八〇〇円は中間仕入分と併せて二〇〇万円を同年三月一五日、一〇〇万円を同年五月八日、二〇〇万円を同年九月一七日にそれぞれ支払った旨証言し、前記昭和五〇年分及び昭和五一年分の各仕入帳には右証言のいう各支払いの事実に見合う取引の記載がなされているとともに、原審が取り調べた領収証六通(同押号の四〇ないし四五)は、右証言のいう田中商店に対する三九七万五五〇〇円、中西準に対する三五〇万円、山本商店に対する二四五万円、丸吉商店(吉浦潔)に対する三口合計五〇〇万円の各支払いにかかるものであり、右の各証拠は、いずれもその信憑性が肯認されるかぎり、期末買掛金についての所論を裏付けるものであるから、以下その信憑性を吟味することとする。

(2)  原判決挙示の収税官吏の被告人に対する昭和五二年一月二九日付質問てん末書、被告人の検察官に対する同年九月二六日付、昭和五三年三月四日付各供述調書によると、被告人は、昭和三〇年ころから繊維製品の卸小売業を始め、昭和三四年ころからは「都繊維」の名称で手広く衣料雑貨の卸売をするようになった者で、安価な仕入れを図るため、商品の現金化を急いでいるブローカー相手の現金仕入れに重点を置いて事業を拡張させてきたところ、所論の前記各期末買掛金にかかる取引の相手方はいずれもブローカーであり、そのうち前記収税官吏の質問てん末書が作成された当時、その身元及び所在が判明していた者は丸吉商店こと吉浦潔のみで、他はいずれも当時すでに所在不明であり、田中商店や山本商店に至ってはその本名及び住所その他の連絡先すら判然としない者であったことが認められるから、これらの者との取引がいずれも現金決済であった旨をいう右収税官吏及び検察官に対する被告人の各供述は、右取引の実情に即し、自然で合理的な内容を有するものと考えられるとともに、吉浦潔が検察官に対する供述調書中で供述するところも、同人と被告人との間の取引の代金決済につき、被告人の右供述内容と符号するものであり、右各供述にはかなりの信憑性が認められるのに対し、これに反する原審証人田口トミエの前記証言については、原審において刑事訴訟法三二八条による証拠として取り調べられた収税官吏の同人に対する昭和五二年一月二一日付及び同年四月二〇日付各質問てん末書において、同証人は、田中商店(但し昭和四九年分)、大協ニット、丸吉商店(吉浦潔)、中西準関係の各期末買掛金の存在に関し、右証言と矛盾する供述をしていることに徴しても俄かには信用することはできない。前記六通の領収証の記載の信憑性については、丸吉商店(吉浦潔)作成分三通を除く残余の三通は、その作成者が前記の事情にあるため作成者に当ってその真偽の程を確認する途がないので、たやすくその信憑性を肯定することはできず、現に中西準作成名義の領収証については原判決指摘のとおり被告人がその作成日を変造した事実が認められ、しかも右変造の動機たるや、前記被告人の検察官に対する各供述調書によると、被告人が本件で主張する前記中西準に対する四四五万円の期末買掛金の存在等を理由に所轄の浪速税務署長に対して昭和五〇年分所得税の更正処分等に対する異議申立をするに際し、右期末買掛金の存在を裏付ける証拠として他の証拠と辻つまを合わせる点にあったことが認められることや、原判決挙示の収税官吏の被告人に対する昭和五二年一月二九日付質問てん末書及び原審証人田口トミエの証言によると、被告人は所論の本件各期末買掛金につき昭和四九年分及び昭和五〇年分の両田中商店が同一取引先であり、同人に対する被告人の昭和五一年期首(昭和五〇年期末)買掛金額という二一七万五〇〇〇円中には昭和五〇年期首(昭和四九年期末)買掛金額一五三万九三九〇円が含まれていることを前提とし(従って、被告人は一審次来被告人の田中商店に対する昭和五〇年期末買掛金が、期中増差額として、右二一七万五〇〇〇円から右一五三万九三九〇円を差引いた額に相当する六三万五六一〇円であると主張していることは、記録上明らかである。)、右二一七万五〇〇〇円が昭和五一年中に決済されたことにより、右昭和四九年分の期末買掛金も決済されたものとみている事情が窺われるのに対し、被告人の経理係である田口トミエは、前記両年度の田中商店が別個の取引先であると理解し、前記のとおり昭和四九年分の期末買掛金が昭和五〇年一二月二二日に、昭和五〇年分の期末買掛金二一七万五〇〇〇円が昭和五一年六月一五日にそれぞれ決済されたとして帳簿上処理していることが認められるのであって、これらの事情に徴すると、前記各領収証はその内容はもとよりその作成者自体にまで疑いが生じ、他方、丸吉商店(吉浦潔)作成の領収証三通については、原審証人吉浦潔の証言により、その作成自体の点に疑問をさし挾む余地がないとはいえ、右領収証の代金にかかる取引については、原判決挙示の吉浦潔の検察官に対する供述調書及び被告人の検察官に対する昭和五三年三月四日付供述調書を総合すると、丸吉商店(吉浦潔)と被告人との間の取引は、主に丸吉商店から被告人に対して商品を納入するものであり、右納入には商品の売り切りと販売委託の二種があり、前者は現金決済で、被告人の買掛金が一か月間も未決済のまま放置されることはなく、ただ極く稀になされる後者の取引では委託商品の売却が実現する都度入金する約束であったところ、昭和五〇年末に丸吉商店から被告人に対し代金約四〇〇万円の商品の販売委託がなされ、被告人においては商品の引渡を受けたが、委託商品であるため前記公表仕入帳にも仕入れとして計上せず、したがってたな卸時にも被告人のたな卸資産とせず、後に右委託商品の全代金及び他の商品代金の支払いとして、昭和五一年三月一五日に二〇〇万円、同年五月八日に一〇〇万円、同年九月一七日に二〇〇万円の合計五〇〇万円を支払い、これに対し前記丸吉商店(吉浦潔)作成の領収証三通の交付を受けたことが認められるから、右各領収証をもって前記被告人の公表仕入帳に記載されている昭和五〇年期末買掛金が存在した証左とすることはできない。また、前記被告人の公表仕入帳の記帳の正確性については、被告人は前記のとおり本件期末買掛金が存在したとする自己の主張を裏付けるために領収証の日付の変造をしたが、前記昭和五一年分仕入帳によると、同仕入帳には右変造後の領収証の記載内容に見合う記帳がなされていることが認められ、また、原判決挙示の収税官吏の被告人(昭和五二年三月三日付)、三宅彪、吉村芳次、水谷功に対する各質問てん末書、昭和四九年分売掛帳リーフ四枚(前押号の四)、売掛リーフ三枚(前押号の五)、前記昭和四九年分及び昭和五〇年分各仕入帳によると、昭和五〇年分仕入帳には三宅商店、末広商事、エフグリーン、吉村商店関係の、昭和四九年仕入帳には三宅商店、七洋繊維、エフグリーン、吉村商事関係の、大半は一〇〇万円をこえる金額の実態にそぐわない取引内容の記帳がなされていることがいずれも認められるのであるから、これらの事情に前記のとおり被告人の営む事業の実情に即し自然で合理的な内容のものと認められる被告人及び吉浦潔の前記起訴前の段階における各供述を併せ考えると、右各仕入帳に記載の取引において、本件各期末買掛金のように、その代金の決済が仕入れの数か月後になされているものについての真実性は、極めて薄いものといわなければならない。所論が右仕入帳の記載の信用性について種々主張するところは、前記の事実関係に照らしていずれも採用することができず、そうすると、所論の各期末買掛金の存在を裏付けるかの如き前記各証拠は、すべて措信しがたいものであるかさもなければ右裏付とならないものというべきであり、その他所論にかんがみ記録及び証拠を精査しても、右各期末買掛金の存在を肯認するに足る証拠を見出すことができないから、結局、右所論は、理由がない。

(二)  被告人の丸吉商店(吉浦潔)に対する昭和五〇年分の期末貸付金について

(1)  小切手による貸付金関係

原判決挙示の関係証拠を総合すると、丸吉商店(吉浦潔)は、昭和五〇年一二月三〇日その取引金融機関である木津信用組合東大阪支店から小切手帳(小切手番号D六七〇一からD六七五〇までの五〇枚綴り)一冊の交付を受け、同年一二月三一日被告人に対し、右小切手帳の小切手番号D六七〇二の小切手用紙には金額三三万五一一四円、振出日昭和五一年一月一三日、右番号D六七〇五分には金額五〇万円、振出日同年同月一五日、右番号D六七一七分には金額三三万一九四七円、振出日同年同月二三日の各記載をして振出交付し、被告人から右小切手金額に見合う貸付を受けたことが認められる。所論は、原審が取り調べた押収にかかる日計表(同押号の三八)中七枚目の記載内容が、一二月三一日付で吉浦分とし、一行目から七行目までの各行の摘要欄の左側に一月一〇日から二月八日までの間の月日とみられる数字、同欄の右側に上から下へ順次、八九五四六〇、六七万、一二六〇〇〇、二〇〇一七〇〇、九四万、五四万、四〇万の金額とみられる数字、各行の右側の金額欄に上から下へ順次、四四七三二、三三四八六、六二九七四、九九九六〇、四六九八一、二六九八九、一九九九二の数字と下端の合計欄に右金額欄の数字の合計額にあたる三三五一一四の数字となっており、右金額欄の各数字がその左側に対応する数字の五パーセントにあたる(もっとも第三行目は五〇パーセントにあたるが、右は位取りを誤った結果によるものと推測される。)ことと右日計表の作成者である田口トミエの原審証人としての証言を根拠に、右日計表は被告人の丸吉商店(吉浦潔)に対する昭和五〇年一一月以前の手形貸付金に対する同年一二月分の利息(月五分)を計算したものであり、右利息金の支払いとして前記小切手番号D六七〇二の小切手が吉浦から被告人に交付されたものであって、右小切手は、原判決認定のような昭和五〇年一二月三一日に発生した貸付金のために授受されたものではなく、しかも右田口トミエが原審で証言したとおり同女は昭和五〇年一二月三一日には被告人のもとで執務しなかったから、右小切手は、昭和五一年に入ってから授受されたものであり、したがって小切手番号がこれより後の前記D六七〇五及びD六七一七の各小切手も右小切手と同様、昭和五一年に入ってから授受されたものであることは明らかであるから、右三通の小切手の授受の際発生したその原因債権が被告人の昭和五〇年分の資産を構成するものではない旨主張するところ、なるほど前記三通の小切手のうち番号がD六七〇二の分は右日計表に対応するものとみることが自然であり、そうすると、右小切手は吉浦潔が前記検察官に対する供述調書でいうような被告人との間の既存債務の存在を前提としない単純な貸付金とみることには少なからぬ疑問が生ずるのであるが、他面、所論のいうように右日計表が被告人の吉浦に対する手形貸付に基づく既存債権につきその利息を計算したものであるとすれば、右既存債権が被告人の昭和五〇年分の所得計算の基礎となる被告人の同年期末における資産として存在するはずのものであるのに、これを確認し得る資料が見当らず、加わうるに原審が刑事訴訟法三二八条の証拠として取り調べた収税官吏の田口トミエに対する各質問てん末書によると、同人は、右日計表の作成経緯につき吉浦が被告人に割引きを依頼した手形の割引料を計算するため同表を作成し、これに基づき被告人が吉浦の持参した手形の割引きをした旨供述(もっとも、右供述については、被告人の資産中に右割引手形の存在することを裏付ける資料がない点は暫く措くとしても、割引料の計算を一律に一か月としている点や、その際被告人が割引料を手形の割引金額中より差引くことなく、所論のいうように右割引料の支払に関しわざわざ前記小切手を徴したとすれば特異な手形割引の処理方法となる点において、疑問がないわけではない。)しているところ、前記押収にかかる日計表綴中の他の日計表中には、割引手形の満期までの日割計算で割引料を算出しているものとみられるものも存することを考え併せると、所論の前記日計表が果して被告人の吉浦に対する既存債権の利息を計算するため、業務の通常の過程で作成されたものであるとみることについても疑念が生じないわけではなく、仮に右疑念が解消したとしても、前記各証拠により、所論の三通の小切手の授受のなされたのは、原判決が説示するとおりの理由により昭和五〇年一二月三一日とみられる(所論のいう田口トミエの年末期の不就業の事実があったからといって、被告人と吉浦との間の右小切手の授受の認定を妨げる事由とはならない。)から、昭和五〇年内に吉浦から被告人に支払うべき利息金が前記小切手の授受により吉浦の被告人に対する支払債務の負担として処理されたこととなるのであるから、右小切手の金額に見合う貸金債権が同年末被告人の資産として発生したことになり、被告人の同年期末における貸付金額を減額する事由とはならず、右所論の主張は採用できない。

(2)  約束手形による貸付金関係

原判決挙示の関係証拠を総合すると、被告人は、丸吉商店(吉浦潔)に対し、昭和五〇年末ころ、プリント天竺生地五二反を担保に、同人振出にかかる金額七八万七九二四円、満期昭和五一年一月一五日の約束手形一通を徴して右手形金額に見合う金員を貸付けたが、その後右約束手形の満期の記載は、振出人によって同年三月一五日、同年五月一五日、同年六月一〇日と訂正されるとともに、この間担保物件の右天竺生地が返還され、新たに婦人肌着五〇〇〇枚が担保として差入れられたことが認められるので、右事実によると、原判示の被告人の丸吉商店(吉浦潔)に対する昭和五〇年期末における約束手形による七八万七九二四円の貸付金の存在は、これを肯認することができ、右認定に反し右貸付金が昭和五〇年一二月中に被告人に返済されるとともに、右手形も振出人の丸吉商店に返還された後、昭和五一年に入ってから右当事者間で新規の同額の貸借がなされ、そのために右手形の満期がその都度前記のとおり訂正されて、その再度利用がされることになった旨をいう被告人及び原審証人吉浦潔の原審公判廷における各供述の措信し難いことにつき原判決の説示するところはいずれも首肯できるものである。所論は、原判決の右説示が前記手形の再度利用による金銭貸借をもって不自然と評価していることに対し、被告人と丸吉商店との間の営業の特殊性を無視するものであると非難するけれども、前記のとおりの満期の訂正内容や担保物件の処理等より、新規の貸借がなかったものとみる方が自然であるから、これに対し別異の評価を必要するような事情が記録上見出すことができない本件においては、右所論は採用できない。

(三)  被告人の榎並春太郎に対する昭和五〇年分の期末貸付金について

原判決挙示の関係証拠によると、榎並春太郎は、繊維ブローカーとしてかねてより被告人から商品買付資金の融資を受け、その見返えりとして、右融資額の全部又は一部に見合う自己ないしその息子の榎並進振出名義の小切手等を被告人に差し入れ、買付が実現できた商品を被告人に転売してその代金債権と前記融資にかかる被告人の貸金債権とを相殺し、右貸金債権が決済された段階で前記小切手等の返還を受けていたが、昭和五一年九月ころ商品の仕入先(日本衣料株式会社)が倒産したため、買付ができなくなり、自らも倒産状態に陥った者であるが、昭和五〇年末被告人所持の榎並春太郎から交付された手形、小切手は、前記榎並進振出名義の昭和五〇年八月一日から同年九月二五日までの間の特定日が振出日となっている金額合計六七〇万二四〇円の小切手九通及び大昭運送株式会社振出名義、榎並春太郎裏書の同年七月五日満期、金額五一万八〇〇〇円の約束手形一通で、その金額合計が七二一万八二四〇円であって、これが被告人の榎並春太郎に対する昭和五〇年の期末貸付金額であることが認められるところ、所論は、右小切手九通のうち振出日が最終の昭和五〇年九月二五日のもの二通(金額合計一三五万円)以外のものは、書替え等により被告人が榎並春太郎に返還しなければならないもので、同人が被告人に対し支払義務を負わないものであると主張し、榎並春太郎は原審証人として原審段階で、被告人は原審及び当審でも、右主張に沿う供述をするのであるが、原判決挙示の榎並春太郎の検察官に対する各供述調書によると、同人は捜査段階で前記昭和五一年九月ころの倒産状態に陥った当時自己が被告人に対し約八〇〇万円の借入負債を有していたことを繰り返えし確認する供述をしており(同人の右供述が前後で矛盾しているかのようにいう所論の主張は採用できない。)、右供述は同人の被告人との間の貸借関係についての大まかな認識を述べたものとして信用できるものと認められるうえに、前記被告人の検察官に対する昭和五二年九月二六日付及び昭和五三年三月七日付各供述調書と原判決挙示のビニール製ケース入手帳一綴(同押号の九)によると、被告人も榎並春太郎に対し支払いを求めることを前提として自己の手帳にメモ書きしていた、同人から自己に交付された小切手としては、所論のいう前記合計金額が一三五万円の二通の小切手の外にも前記九通の小切手中の一部が含まれていること(所論には右手帳の記載上、右一三五万円の小切手金額の記載が被告人から榎並に対する貸付金の最終金額であり、これが同箇所に記載されているその余の小切手金額と併存する趣旨のものでないことをいうかのような主張が見受けられるが、右主張は、右手帳の記載の態様自体に徴し採用できない。)が認められ、これらの事実に照らすと、前記原審証人榎並春太郎の証言及び被告人の原審及び当審公判廷における供述は、信用できないものと認められる反面、前記認定に沿う榎並春太郎及び被告人の検察官に対する前記各供述調書の信憑性が肯認できるものであり、そうすると、被告人と榎並春太郎の取引の実情、前記九通の小切手の形状(とくにその小切手番号と振出日の各記載)、榎並春太郎の前記各供述時の健康状態等についての所論指摘の諸点を十分検討しても、右結論を左右する事情の認められない本件においては、被告人の榎並春太郎に対する昭和五〇年期末の貸付金についての原判決の事実認定には、所論の誤りを見出すことができず、右主張も採用できない。

(四)  以上の次第で論旨は理由がないから、刑事訴訟法三九六条により、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 八木直道 裁判官 井上清 裁判官 谷村允裕)

○控訴趣意書

被告人 林真行こと

林政行

右の者に対する所得税法違反被告事件についての控訴の趣旨は左記のとおりである。

昭和五五年四月二五日

右、弁護士 山口一男

大阪高等裁判所

第三刑事部 御中

一、控訴申立理由

原判決には、次の二以下に記載のとおり、明らかに判決に影響を及ぼす事実の誤認が存するので、その破棄を求める。

二、昭和四九年分買掛金一、五三九、三九〇円、同五〇年分買掛金一五、四八五、九六〇円の存在について。

1. 原審判決は、〈1〉右弁護人の主張に副う公表仕入帳および領収証の記載内容は措信し難い、とし、他方〈2〉田口トミエらの査察官に対する供述や、田口、吉浦らの証言等を総合すると各期末買掛金は存在しなかったものと肯認するのが相当である、との判断を示した。次下、順次、右判断の失当であることについて詳述する。

2. 公表仕入帳および弁護人提出の領収証について。

(一) 中西準の領収証関係

原審は、右領収証にみられる変更後の日付と公表仕入帳に記載の支払日とが一致している、として公表仕入帳上の支払記載の信憑性を否定している。然し、右領収証の日付が、その変更の前後を問わず、いづれも昭和五一年に属するものであることは証拠上明らかであり、右日付の変更が原審が極め付けているように変造と目されるものであったと仮定してみてもそれは、その支払月日に関するものであって支払った年度においては変りはない。とすると、本件についての争点(昭和五〇年中の買掛金が翌五一年期首に繰越されたかどうか)とは直接に関係のないことがらである。かつ、原審判決は、中西準についても翌五一年の仕入帳の期首にその繰越記載のある事実を認めていながら右翌期繰越の事実を否定することのできる直接の証拠をなんら挙示していない。

(二) 公表仕入帳と仕入先の証憑書類との不突合について

原審での証拠にあらわれている右不突合のものは五件(エフ・グリーン、末広商事、吉村、三宅、七洋繊維)であるが、いづれも本件の争点となっている仕入先ではなく、またその件数も被告人の全仕入先約三七件のうちの一割そこそこのものに止まる。ところで、いわゆる公表帳簿の記載が一〇〇パーセント真実の取引を記録したものでないことは、この種帳簿の性質上当然の事理であり、右五件の不突合を把えて公表帳簿記載の全部を否定し去ることは、針小棒大のそしりを免れ得ないものであるのみでなく、本件の争点が特定の仕入先との間での買掛金の存否にあるのであるから、公表帳簿との関係においても右特定の仕入先関係の記載そのものだけの真偽を直接の証拠をもって吟味すべきであり、他の本件争点と関係のない仕入先についてのものに対する判断をもって右の吟味に代えることは許されない、ものと思料する。

3. 田口トミエ、吉浦潔らの査察官、検察官に対する供述や田口、吉浦らの証言について。

(一) 「被告人方の仕入れはそのほとんどが即時現金払いであった」との供述について。

被告人方の仕入れのほとんどが即時現金払いであったことについては各供述のとおりである。然しどの供述者も決して仕入れの全部とは云っていない。ちなみに、争点となっている昭和五〇年分買掛金一五、四八五、九六〇円についてみても同年中の被告人の総仕入高は一〇数億円を下らない、ものであり、右期末買掛金はたかだかその一パーセントに過ぎない。とすると、右供述どおりほとんどが現金仕入であったことには間違いないわけである。従って、右「ほとんどが現金払いであった」との供述と、本件争点の期末買掛金の存在とは決して矛盾するものではない。

(二) 「公表帳簿上現金がないときは、裏の金で支払い、後日表の金を裏にまわした際、表の金で決済したように記帳していた」との供述について。

右供述に副う事実のあったことは争わない。そして、右の事実は、公表(仕入)帳簿上の支払日と領収証日付の相違するもののあることから発覚したのである(田口トミエ、昭和五二年一月二一日付査察官調書問六)。その結果、七洋繊維、末広商事等に対する裏金支払の事実が表面化するに至ったのである(右調書問六)。然し、公表帳簿に記載した仕入代金を裏金で支払うというようなことは全く例外のケースに属する(田口証人調書第一回分二八丁表)。原則的には公表帳簿に記載した仕入については公表上の、いわゆる表の金で支払いをしていたものである。従って、公表帳簿に記載されている仕入分について右のような裏金支払の事実のないものについてはその仕入商品代金は未払いのままになっているものである。本件六件分の買掛金がそれに該当する。

(三) 「裏金で支払った分の領収証等は一部廃棄した」との供述について。

そのこと自体は争わない。然し、それは裏仕入した(公表仕入帳簿に記載しない)ものについてのことであり、一部のマージン取引分についてそのような事実のあったことは認める。処が、本件の争点となっている六件分については、いづれも公表帳簿に記載された、いわゆる表の仕入に属するものであり、従って、その代金支払の事実をも確実にフォローして記録しておく必要のあるものである。前記(二)の、裏金支払分についてみられるように、実際の支払日とは異なるにせよ、ともかく、支払の事実だけは記帳せざるを得ないのである。とすると、公表仕入帳簿に記載されている本件六件分の買掛金について、その仕入の年度中に裏金支払をし、かつ、その領収証を破棄し、さらに、公表仕入帳に支払事実の記入をしないまま放置するというような無謀のことをするわけがない。もし、そのような結果を望むのであれば、当初から裏仕入の方法により処理することが直截簡明であり、また吾人の経験則にも合致する。領収証の廃棄は、本件期末買掛金の存在とは全く関係のないことがらである。

(四) 吉浦関係の委託買掛金について。

(1) 原審は、これについて「実質的に委託である」と断定し、「その大部分は仕入れの計上をしていない」と認定している。

(2) 然し、右の認定は、客観的に存する押第二七九号(符一六号)の昭和五〇年公表仕入帳(吉浦関係)の物的証拠および右仕入帳の記載についての吉浦の公判廷での供述(第一回証人調書、三二丁表から三六丁表まで)を無視した独断に出たものであり、明らかな事実誤認である。

三、昭和五〇年分丸吉商店こと吉浦潔に対する期末貸付金一、九五四、九八五円の不存在について。

1. 小切手三通による貸付金一、一六七、〇六一円関係

(一) 原審判決は、争点となっていた

〈1〉 金額三三五、一一四円、振出日昭和五一年一月一三日、小切手番号六七〇二

〈2〉 金額五〇〇、〇〇〇円、振出日昭和五一年一月一五日、小切手番号六七〇五

〈3〉 同 三三一、九四七円、同 昭和五一年一月二三日、同 六七一七

の三通の小切手のいづれも昭和五〇年中(一二月末)に発生した吉浦に対する「貸付金」であると認定した。然し、その後、原審に現われた証拠を細密に調査した結果、次の(二)に述べるとおり右のうち〈1〉と〈3〉の二通については原審での争点であったその発生時期の問題の以前に、そもそも、それらが検察官主張の「貸付金」とは全く関係のないものであることが明白となった。

なお、右原審認定の背景の一つとなっている、木津信用組合吉浦口座への昭和五〇年一二月三〇日の多額(二、二二三、五七七円)の入金は、吉浦が右銀行から手形割引をうけて得た入金であることは右銀行の吉浦当座勘定元帳(写)に明記されているところであり、被告人の貸付とは全く関係のないものであるので念のため申し添える。

(二)(1) 原審に現われた押第三八号(符二七〇号)日計表七枚目「一二月三一日付、吉浦分」の記載内容は、検察官が主張するような、右一二月三一日当日に発生した貸付金についての記録ではない。このことは、もし、一二月三一日に貸付けたものとすると、右日計表に記載されている満期日(左はしの記載)と貸付金額(まんなかの記載)との関係からそこに記載の利息金の額(右はしの記載)がきわめて不合理のものとなる一事からも右検察官主張の誤りであることは容易に首肯し得るところである(証人田口トミエ尋問調書、第六回公判、一八丁表)。

(2) 右日計表の記載は、作成者田口トミエが被告人の指示に従い、被告人が既に(具体的には昭和五〇年一一月以前)吉浦に対し貸付けていた手形貸付金に対する一二月分の利息金の計算をしたものである。その起票の日付を一二月三一日としたのは、単にその計算期間(一二月一日から同末日まで)の終期を記載したものに過ぎない。そして、吉浦に対する貸付の利息は月五分の割合であったので(右田口証人調書一六丁裏)、右日計表に記載されている利息金の額が、右のレートで計算した貸付金に対する一ケ月分相当の利息金の額にほぼ等しいものであることは、一見して明白である。

(3) 処で、ここで注目すべきは、右の日計表に記載されている一二月分の利息金の合計金額(三三五、一一四円)と前記(一)の〈1〉の小切手の額面金額とが全く同一の金額であることの事実である。このことは、田口によって右の日計表により計算された昭和五〇年一二月分の利息金を、吉浦が被告人に対し右の小切手で支払ったことの事実を証するものであり、従って右〈1〉の小切手については原審認定の如く昭和五〇年一二月末に発生した貸付金でないことは、きわめて明白である。

また、前記(一)の〈3〉の額面三三一、九四七円の小切手は昭和五一年一月分の貸付金利息の支払に関するものであるので、これについても亦、原審認定の「貸付金」とは関係のないものであることは明白である。

(三)(1) 田口トミエは、昭和五〇年の年末は二七日ないし二八日頃までしか出勤していなかったので(右同調書一四丁裏)、前記、一二月三一日付でした日計表による利息計算は正月明けの五一年一月はじめ頃、被告人から指示をうけたものであることは明らかである。そして、右の計算ができたのちにはじめて吉浦に対する昭和五〇年一二月分の利息金の請求が可能となり、さらにその後において吉浦より現実に利息金の支払をうけることができたわけであるから、吉浦が、前記(一)の〈1〉り小切手により右利息金を被告人に支払った時期は、右小切手の券面に記載の振出日(昭和五一年一月一三日)の頃であったことの蓋然性がきわめて高い。

(2) とすると、右(一)の〈1〉の小切手よりも、その振出日および小切手番号のいづれもが新しい前記(一)の〈2〉の小切手については当然に昭和五一年に入ってのちに振出されたものであることについては全く疑念の余地がない。従って右〈2〉の小切手による被告人、吉浦間の貸借も昭和五一年度において発生したものであることは明白である。

前述の(一)の〈3〉の小切手についてした弁護人の主張が仮りに容れられないばあいにおいても、その(貸借の)発生時期については右〈2〉の小切手について述べたと全く同一の理由がこのばあいにもあてはまるので、原審判決がその発生時期の点について誤認を犯しているものであることは明らかであり、究極において原審認定に誤りのあることに変りはない。

2. 手形貸付金七八七、九二四円関係。

原審判決は、被告人および証人吉浦の「手形の再度利用による金銭貸借」の弁解を不自然として排斥している。然し、被告人の業態そのものが通常一般に記載されている卸売業とは大いに趣を異にした特殊のものであり(俗にパチもの屋と呼ばれているもの)、商取引も現物中心になされていて、取引を記録する伝票や書類の類も殆んどなく、いわゆる勘に頼って物と金を動かしていたものである。従って、被告人とその相手方との間の手形貸付取引についても右の特殊な被告人の営業の実態を考慮して判断する必要があり、通常一般の卸売業者のそれをイメージして不自然であるとの一言のもとにこれを全く省りみない原審判断はまことに当を失したものというべきである。

四、昭和五〇年分榎並春太郎に対する期末貸付金七、二一八、二四〇円のうち一、三五〇、〇〇〇円を超える部分の貸付金の不存在について。

1. 原審判決は、右弁護人の主張に副う証人榎並の供述について、「尋問調書によって認められる榎並の病状の経過」や「同人に対する取調の状況」に照らして措信できない、としてこれを斥け、同人の検察官に対する供述調書によって検察官主張どおりの金額の貸付金の存在を肯認している。然し、右、原審の判断は明らかに誤っている。以下、その理由について詳述する。

(一) 榎並の病状の経過について。

たしかに、証人榎並の尋問調書のなかに「一回目に倒れたのち頭が鈍くなった」との供述部分がある(一五丁裏)。然し、右調書を通読するも、前後大きく予循するところはなく、どの質問に対しても概ね的確に答えている。一回目に倒れた日も「昭和五二年四月一五日」と正確に答えている程である(四丁表)。もし、病状経過についての榎並の右の供述を額面どおりうけとるのであれば、同じく一回目に倒れたのちに作成された同人の検察官に対する供述調書(昭和五三年三月一〇日付)も同様の評価をうけるべきである筈のところ、原審判決は、右のうち検面調書の供述のみを採用し、同人の証人調書の供述については病状の経過を理由にこれを斥けているのは著しく合理性を欠く。さらに後述するとおり右検面調書の供述にはアイマイな点が多く、また前後大きく矛盾する箇所のあることを勘案したばあい、その不合理性は一そう顕著のものということができる。

(二) 榎並に対する取調の状況について。

原審判決にいう右の「取調の状況」とはその文脈から推して主として査察官段階でのものを指しているものと解されるので、次にこれについて述べる。

(1) 榎並は、査察官から一覧表(被告人方に残っていた榎並持込みの手形、小切手の全部を記載したもの)を示されて被告人に対する借入金残額の確認を求められたものであり、手形、小切手の現物またはそのコピーは一切示されていない(昭和五二年一月一二日付供述調書三丁裏「本職が作成した榎並に対する貸付金の一覧表を被質問者に示し」。昭和五二年三月二九日付右同二丁表「本職が作成した都繊維が受入れた手形等の検討(榎並関係)の表を示し」等により明らかである。)とすると、榎並としても正確な答弁のしようがない。現に、榎並は一回目の調査では六、七六八、二四〇円(但し、五一年の一五〇、〇〇〇円を含む)と答え、二回目ではそれが七、二一八、二四〇円(五〇年末)に変っている。要するに、査察官があらかじめ作成していた一覧表に記載の数額をそのまま鵜呑みにして査察官に対し迎合的な答弁をしていたものに過ぎないのである。

(2) 榎並は、一時、被告人の榎並に対する貸付金が多ければ多いほど被告人にとって税務上有利になると考えていたことがあり(同人証人調書一〇丁表)、また、同人自身の税務対策上の思惑もからみ、同人の被告人に対する商品売上高についても虚偽の答弁をしていた節がある(菊池和夫、証人調書三六丁)。

(3) 榎並の査察官に対する供述調書のなかでのもっとも重大な欠陥は、後述する榎並、被告人間の小切手取引の実態(商品買付資金の融資に対する担保としての小切手の差入と同小切手金と買付商品の被告人への転売による商品代金との相殺について全く触れられていないことである。

処が、査察官菊池は公判廷において右当事者間の小切手取引の実態が後述するとおりのものであることの説明を当時榎並からうけていたことを自認した(同人証人調書二五丁)。査察官において虚心に右榎並の説明に耳を傾け、被告人方に残留していた小切手のなかに同一日付のものが複数あったり、小切手に記載の日付と小切手ナンバーとが逆になっていたりするもののあること(右同調書二五丁ないし二七丁)に疑念をもちさらに綿密の調査を遂げておれば、当然査察調査の段階において被告人の弁解に副う正確の榎並に対する貸付金額が把握できていた筈である。右査察段階での粗漏の調査に原審判決の誤認を導いた躓きの第一歩があったものというべきである。

2. 榎並、被告人間の小切手取引の実態について。

(一) 榎並は、被告人から商品買付資金の融資をうけその担保として借入金同額の榎並振出しの小切手を被告人に差し入れておき、買い付けのできた商品を被告人に転売してその販売代金とさきの小切手金とを相殺することとしていた(榎並証人調書五丁)。

(二) 右、榎並が被告人に差入れた小切手には、当該借入金によって商品を買い付け被告人に転売することのできる時期、換言すると、その小切手による借入金の返済可能の時期を記入していたのであるが、ときに思惑どおりに買い付け、転売が運ばず、このため借入金の一部返済や逆に借増しをすること等もあったりして当事者間の右小切手授受の方法による貸借金の残高は終始変動していた。そして、本来は、貸借金残高の変動に従って新規に変動後の額面の小切手を授受し、旧小切手を返還すべきところ、実際には、不足金に見合う金額(一部返済をうけたばあい)の小切手をもらったり、旧貸付金残高に借増しした金額を加えた額面の小切手を授受するなど、区々の方法で小切手の授受をくりかえし不要になった小切手についても、榎並は被告人に対し「破っておいてなあ」と言うのみで実際にはその殆んどが被告人の手許に残留したままであった(榎並証人調書九丁表)。

(三) 榎並と被告人間の小切手取引は前述のとおり、榎並に対する商品買付資金の貸付けに起因するものであるから、その貸付金額についても自ら限度があり、この点について榎並は、最高で総額二-三〇〇万円位であった、と供述しており(同人証人調書八丁表)、被告人の弁解(一三五万円)ともおおむね一致している。

3. 榎並の検察官に対する供述調書について。

(一) 榎並は右調書のなかで、はじめ、「国税局の人に、私が倒産した時点で、抱えていた借金のうち都繊維分は小切手で八〇〇万円位あると話した」と述べ(右調書二丁)、あとには「五〇年八、九月頃から合計で八〇〇万円位小切手で借りた」と、そのニユアンスが大きく変っている(右同三丁表)。

(二) さらに、被告人方に残留していた榎並振出しの小切手について「どれ位あったか全く分らないのですが、そう云われれば書き直した小切手もあったかもしれません」ときわめて消極的な表現ながら書検不要分のあることを告げている。この供述部分は、後の同人の証人尋問調書のなかの「それで検察庁でそれでは国税局では嘘を言っていたのかと叱られた」との趣旨の供述(同証人尋問調書一〇丁)と照応して、きわめて重要であり、さらに、つづけて「返済ずみの小切手で返してもらったものと被告人の所に置いていたものとでは置いていた方が多い」との裁判官面前での供述(右同一二丁)とを考えあわせたばあい、右検面調書の信憑性はきわめて疑しい。

4. 被告人本人の検察官に対する供述調書について。

(一) 検察官の被告人に対する尋問内容は当事者間における小切手授受の実態を無視した全くの理詰めのもの(例えば問題の小切手九枚をその日付順に受取ったものであることを前提にして、その日付の順を追って書き替えの事実の説明を求める等-その日付が実際の小切手授受の順と一致していないことは前記2に詳述のとおり)に終始しておりとうてい真相を究明したものとは云い難い。

(二) 被告人は検察官に対し貸付金残高は一三五万円(昭和五一年九月二五日付の一一〇万円と二五万円の合計額)であることを明確に告げている。そして右金額は、押第九号(符二三七号)ビニール製ケース入手帳に被告人が無作為に記入していた榎並に対する貸付金メモの最終金額(五〇、九、二三一、三五〇、〇〇〇円)と一致しており、右被告人の弁解は十分に信用のできるものと確信する。

以上

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